大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)6925号 判決

原告

朝日繊維株式会社

右代表者

宮崎章

右訴訟代理人

井上善雄

阪口徳雄

被告

清板正

外二名

右被告ら訴訟代理人

甲元恒也

梶田良雄

中野惇

長谷川修

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金四〇二六万三四三三円及びこれに対する昭和五七年九月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告らの負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、赤崎興業株式会社(以下、「赤崎興業」という。)に対し、昭和五四年四月ころから同年五月末日ころまでの間、数回に亘つて繊維等を売り渡し、その代金の支払いのために、同社から、別紙手形目録記載の約束手形一一通(手形金額合計四九四四万四七九三円)の振出を受け、これを所持している。

2  赤崎興業は、原告との取引開始直後である昭和五四年六月二七日、岡山地方裁判所に対し和議申立(以下、「本件和議申立」という。)をなし、同日、同裁判所が和議開始決定前の保全処分命令を発したことにより事実上倒産したため、原告は、右所持する手形の支払いを受け得なくなつた。

3  遅くとも昭和五二年以降、被告清板正(以下、単に「被告正」という。)は赤崎興業の代表取締役であり、同清板寛三(以下、単に「被告寛三」という。)、同三宅昭夫(以下、単に「被告三宅」という。)及びもと相被告亡清板三十志(以下、単に「三十志」という。)は、同社の取締役であつた。

因みに、三十志は同社の副社長、被告三宅は専務取締役、同寛三は常務取締役であつた。

4  被告らの責任

(一) 赤崎興業は、昭和五二年夏ころから、株式会社三栄ほか十数社との間で、融通手形の交換を継続的に行ない(以下、「本件融手取引」という。)、本件和議申立をなした昭和五四年六月二七日当時、自社振出の未決済融通手形は別表(一)記載のとおり金額合計五億九〇一三万二六〇〇円に、他方、同社が受領していた未決済融通手形は別表(二)記載のとおり金額合計五億一八二九万二〇三四円に、それぞれ昇つていたところ、右交換先の企業が倒産するなどしたため、自社振出の融通手形を決済することができなくなり本件和議申立に及ばざるをえなくなつた。

(二) 被告三宅は、三十志とともに、本件融手取引を直接担当していたものであるが、融通手形の交換という方法による資金調達には非常に大きな危険がつきまとうのであるから、取締役としては、自社が倒産に追い込まれることのないよう、交換先の各企業の資産及び取引状況を充分調査するなどして、安全性を確認し、かつ自社の資金力の射程範囲内で右取引を実施すべき義務があるのに、これを怠り、右のような調査を一切行なわなかつたばかりか、自社の資金力や支払能力なども考慮せずに右取引を実施した。

したがつて、被告三宅には、本件融手取引を実施するにあたり、取締役として重大な過失があつたというべきであり、その結果、赤崎興業を倒産せしめて原告の同社に対する手形債権の回収を不能ならしめたものであるから、同被告は原告に生じた損害を賠償する義務がある。

(三) 被告正及び同寛三は、赤崎興業の代表取締役及び常務取締役として、被告三宅及び三十志(以下、両名をあわせて表示するときは、「被告三宅ら」ともいう。)が本件融手取引を行なうのを監視し、右取引を中止させるべき義務があるのに、これを怠り、被告正は取締役会にほとんど出席せず、同寛三に至つては取締役会に全く出席せず、被告三宅らが右取引を実施するのを放置した。

したがつて、被告正及び同寛三は、故意又は重大な過失によつて右監視義務を怠つたものというべきであり、その結果、赤崎興業を倒産せしめて原告の同社に対する手形債権の回収を不能ならしめたものであるから、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

よつて、原告は、被告らに対し、商法二六六条ノ三の規定に基づき、損害額から既払額(九一八万一三六〇円)を差し引いた残額である四〇二六万三四三三円及びこれに対する弁済期を経過した後である昭和五七年九月一二日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4(被告らの責任)について

同(一)のうち赤崎興業が昭和五二年ころから本件融手取引を行なつていたこと、同(二)のうち被告三宅が三十志とともに本件融手取引を担当していたこと、並びに同(三)のうち被告正及び同寛三が赤崎興業の取締役会にほとんど出席していなかつたことは認め、その余の事実は否認する。

(被告らの反論)

(一) 赤崎興業は、昭和五二年当時から、株式市場第一部上場の優良企業である金商又一株式会社(以下、「金商」という。)の傘下にあつたもので、本件融手取引も同社の指導のもとに開始し、継続していた。本件融手取引において、赤崎興業は、専ら信用を供与する立場にあり、交換先の企業から信用上の恩恵、利益を受けるものではなかつたが、金商の室野衣料部長が、交換先の企業振出にかかる融通手形の決済については金商が全て保証し、これに見合う赤崎興業振出の融通手形の決済資金が確実に確保できるようにする旨明言し、昭和五四年六月末に至るまでは、右約旨に基づき、金商が交換先企業へ決済資金の手当をしていたので、被告三宅らは、右室野部長の言辞を信用し、同人の指示通りに本件融手取引を実施してきた。ところが、金商は、同月末に至り、突如交換先企業に対する資金援助を打切る旨を赤崎興業宛通知してきた。その結果、赤崎興業が交換先の各企業から受取つていた融通手形が不渡りとなることが確実となつたので、被告らは、赤崎興業の自衛のため、同社振出にかかる融通手形の決済を見送り、本件和議申立をなした。

以上要するに、赤崎興業の倒産は、金商の突然の保証契約不履行という不測の事態に基因するものであつて、被告三宅らには、本件取引を行なうにつき重過失はないというべきである。

(二) 被告正及び同寛三は、本件融手取引が行なわれていた当時、赤崎興業の本店から遠く離れた東京に常駐しており、また、被告寛三は、赤崎興業の子会社である赤崎縫製株式会社の業務に専念していて赤崎興業の経営に関与する余裕はなかつた。

したがつて、同被告らは、取締役とはいうものの名目的な存在にすぎなかつたから、原告らに対し責任を負うべき理由はないものというべきである。

(右主張に対する原告の認否)

右主張事実は全て不知。

なお、仮に右主張(一)の事実が認められるとしても、被告三宅らは、一部長にすぎない室野の言辞のみを安易に信用したのであるから、取締役としてやはり重大な過失があるものというべきである。

また、名目的取締役であつても取締役である以上、責任は軽減されないものというべきであるから、右主張(二)の事実は、被告正及び同寛三の責任に影響を及ぼさないものというべきである。

三  抗弁(免除)〈以下、省略〉

理由

一請求原因1ないし3の事実(原告が赤崎興業に対し、四九四四万四七九三円の手形債権を有していたところ、同社が事実上倒産したため、その支払いを受け得なくなつたこと並びに被告ら及び三十志の赤崎興業における地位)は、当事者間に争いがない。

二被告らの責任について

1  請求原因4(一)のうち赤崎興業が本件融手取引を実施していたこと及び同(二)のうち右取引は被告三宅が三十志とともに担当していたことは当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができる。

(一)  赤崎興業は、カジュアルウエアや防寒衣料などの被服の加工販売を主たる営業とする資本金二七五〇万円の株式会社であつて、昭和二五年に設立され、昭和四〇年代には、赤崎被服株式会社ほか八社の完全子会社を設立するなど業績を拡大してきたが、昭和五〇年代に入り、いわゆる石油ショックの影響を受けたうえ、これに右業績拡大策が裏目に出たことなども重なつて、収益の減少を招くようになつた。

(二)  赤崎興業の主たる営業品目であつた被服という商品の中には季節商品が多いが、そのような商品の場合、材料を仕入れて被服に製造加工した後、これを販売するまでに相当の日数を要し、その間の資金繰りの方法として、主要仕入先である商社との間で、製造した被服を一旦売り渡して直ちに買い戻した形を採り、右商社から右代金支払手形の振出を受ける一方、自らは買戻代金として長期サイトの手形を右商社宛に振出し、商社から振出を受けた右手形を換金してつなぎ資金を調達し、その後、被服を正式に販売し、その代金で自社振出の手形を決済するという方法をとるものもあり、右方法による商社融資を業界では備蓄融資などと称しているが、赤崎興業も、右備蓄融資の方法によるつなぎ資金調達方法を採用していた。

(三)  赤崎興業は、かつては丸紅株式会社、蝶理株式会社及び瀧定株式会社を主要仕入先とし、したがつて、また、右各商社から備蓄融資を受けていたが、昭和五〇年ころから金商との取引量が徐々に増加して丸紅や蝶理などと入れ替わるようになり、同五三年ころには金商が仕入先として圧倒的な比重を占めるに至り、本件和議申立当時の負債額は、金商に対するものが約四億六五〇〇万円であつたのに対し、蝶理に対しては約二億二四〇〇万円、瀧定に対しては約五六〇〇万円、丸紅に対しては約一八〇〇万円であつた。こうした経過からして、赤崎興業は、他社からよりも金商から備蓄融資を受けることが多くなり、これに伴つて、同社から経営についての監督を受けるようになり、昭和五二年ころからは、一か月に一回の割合で、同社の大阪支社に被告三宅や三十志が赴き、同大阪支社の首脳陣の集つた席上で、赤崎興業の経営状態を説明したり、同社から情報の提供を受けるなどしてきた。

(四)  こうした中で、被告三宅及び三十志は、昭和五二年夏ころ、金商大阪支社の衣料部長であつた室野から、同社が資金援助をしている企業との間で融通手形の交換をしてほしい旨の依頼を受けた。これに対し、同被告らは、このような取引を行なうことは危険であるとは考えたが、主要な仕入先であり、かつ資金調達先でもある金商の衣料部長からの申出であるためその申出に応じることにした。

(五)  このようにして、赤崎興業は、そのころから、本件融手取引を始めるようになつたのであるが、被告三宅らは、同取引を行なうまでは、交換先である各企業の経営者とは一面識もなく、また、同企業の資産や経営状態も全く知らなかつた。しかしながら、同被告らは、赤崎興業が本件和議の申立をなすことによつて、右融手取引が終了するまでの間、右各企業の状態について調査をすることなく、専ら室野部長の指示に従つて同取引を継続し、同取引を行なう過程において赤崎興業宛に送られてきた手形の振出人欄を見ることにより、初めて交換先企業の名前を知るという有様であつた。

(六)  本件融手取引は、開始当初はさほど多額なものではなかつたが、その後次第に取引額が増大し、赤崎興業が本件和議申立をなした当時には、同社振出の未決済融通手形は金額合計約八億三〇〇〇万円に及んでいて、その主要なものは別表(一)記載のとおりであり、他方、同社が受領していた未決済融通手形も同社振出の右融通手形に相応する金額であつたが、その主要なものは別表(二)記載のとおりであつて、それだけでも五億円を超えるものであつた。しかしながら、赤崎興業が右取引によつて受領した融通手形は、その一部は割引を受けて資金調達をはかることはあつたものの、その大半は手元に置いたままであつたのに対し、同社が振出した融通手形は、そのほとんど全てが割引かれていたため、右融手取引は、同社が交換先企業に対して信用供与を行なうという側面の強いものであつた。もつとも、同社は、昭和五四年度には、材料の仕入れから製造した被服を販売するまでのつなぎ資金として二億円を必要とし、これを金商の備蓄融資で賄う予定で室野部長と交渉していたところ、同年一月末ころに至り、同部長から、同社の内部審査の結果、今年度の備蓄融資は一億円しか行なえないことになつたので、不足分一億円は本件融手取引によつて賄つてほしい旨言い渡され、以後、同融手取引によつて資金調達をはかることが増えたが、それにしても、和議申立当時赤崎興業の自社振出未決済融通手形が金額合計約八億三〇〇〇万円というのは、同社の要調達資金額の八倍以上にも昇る大胆なものであつた。

(七)  被告三宅らは、本件融手取引以外にも、室野部長からの依頼により、融通手形交換先の企業に対して手形貸付などを行なつたりもしたきたが、昭和五四年五月二〇日ころにも、同部長から、同年六月五日には金商振出の株式会社三丸宛金額三五〇〇万円の融通手形を赤崎興業に交付するから、とりあえず、三丸に対し三五〇〇万円を貸付けてほしい旨依頼があり、同被告らは右申出を承諾して、同年五月三〇日、同社に同額を送金したところ、約束の六月五日に至つても手形が送られてこなかつたため、金商の大阪支社に架電して同部長と連絡を取ろうとしたが、その結果、同部長が行方不明となつていることが判明した。そこで、被告三宅らは、あわてて三十志を同支社に派遣し、同人が本田常務と面会して室野部長の介入により行なわれたこれまでの取引の経緯を説明したところ、同常務は大層驚いた様子をみせて自分達は全く知らなかつた旨を述べたが、一旦は赤崎興業が倒産しないよう善後策の協議に応じるとの態度を示した。しかしながら、右協議は結局まとまらず、他方、本件融手取引の交換先企業のうち、株式会社三丸、館山繊維株式会社、乃木商事株式会社、株式会社アベルなどが同年六月末には倒産するとの情報が赤崎興業へと入るに至つた。こうして、同社は、同月三〇日及び同年七月一日に満期が到来する合計一四六通の支払手形の決済資金合計約三億七〇〇〇万円のうち、約一億円の資金に不足をきたすことが明らかとなつた。そこで、被告らは、同年六月二〇日、取締役会を開いて協議した結果、万策尽きれば和議申立をするも已むをえないとの結論に達し、同月二七日、本件和議申立をなして事実上倒産した。なお、右六月三〇日に満期が到来する支払手形金額合計一億九六八七万三三八四円のうち、八八〇一万五〇九〇円分は本件融手取引により振出したものであつて、また、これとは別に、同年七月五日には、同様本件融手取引により振出した金額合計一〇〇〇万円分の手形の満期が到来することになつていた。

(八)  本件融手取引の交換先企業は、赤崎興業の倒産と前後して、全て倒産した。

以上の事実が認められる。

〈証拠判断略〉

2  右1に認定した事実を総合すると、赤崎興業の倒産は、直接的には、金商から最終的な資金援助を受けることができず、かつ、本件融手取引の交換先企業が相次いで倒産に至る状況となつたために、支払手形の決済資金が用意できなかつたことを原因とするものと認められるのであるが、被告三宅らが本件融手取引を遂行さえしなければ、かかる事態を招来することはなかつたことも明らかであるから、本件融手取引の実施が同社の破綻の究極的原因であるというべきである。

3 そこで、本件融手取引を遂行するにあたつて、被告三宅ら直接の担当取締役に、重大な過失が存したかどうかを検討するに、融通手形の交換は、交換先の企業が倒産するときは、たちまち自社を連鎖倒産の危機に追い込むことになる可能性の高いものであるから、業務担当取締役としては、このような方法による資金調達は極力避けるべきであり、已むを得ず右取引を実施する場合においても、交換先企業の資産や経営状態を充分調査検討するとともに、自社の資力、経営状態、必要資金の額などにも充分思慮をめぐらせ、取引の安全性を確認したうえ必要最小限度の範囲で右取引を実施すべき義務があるものというべきである。しかるに、被告三宅らは、本件融手取引を実施する過程において、交換先企業に対する右調査検討を行なわないまま、自社の必要資金額の何倍にも及ぶ取引を実施したことは前記1に認定したとおりであるから、同被告らには、右取引を実施するにあたり、重過失があつたといわざるをえない。

もつとも、もと相被告亡清板三十志及び被告三宅昭夫各本人尋問の結果中には、本件融手取引を行なうにあたり、金商の室野部長が交換先の企業は金商が面倒をみている会社であるから絶対倒産することはないと述べていたので、自分達は右言辞をすつかり信用していた旨被告らの主張に副う供述をする部分がある。

しかしながら、仮に右供述内容が真実であるとしても、他方、被告三宅昭夫本人尋問の結果によれば、室野部長は保証書を書いたりしたことはなかつたことが認められ、これに、前記1に認定した次の事実、すなわち、被告三宅や三十志は、昭和五二年以降、金商の大阪支社に一か月に一回の割合で赴き、赤崎興業の経営に関し、金商の大阪支社長でもある本田常務ら首脳陣と協議を繰り返していたにもかかわらず、昭和五四年六月五日に室野部長が失踪した際、同常務と面会して本件融手取引など同部長を介して行なわれた取引の内容を三十志が説明したところ、同常務から右事実は全く知らなかつた旨返答されたことをも総合すると、被告三宅らとすれば、何回も金商の首脳陣と接触する機会があつたのであるから、その際、室野部長の右発言の裏付をとり、同社の代表者名義の保証書を要求するなどすべきであつたのに、そのような安全策を講じなかつたばかりか、同部長にすら金商名義の保証書を書かせることをしなかつた点において、やはり同被告らには重大な過失があつたといわざるをえないから、被告三宅らの前記供述にかかる事実の存在は、何ら同被告らの重過失を否定せしめるものではないというべきである。

また、被告三宅らは室野部長の本件融手取引についての依頼に応じた理由の一つとして、当時、金商が赤崎興業の主要仕入先であつたばかりか主要資金調達先でもあつたため、断わりにくかつたことを挙げている(前記1(四)に認定)のであるが、金商との取引量が増加する以前には丸紅や蝶理、瀧定が赤崎興業の主要仕入先で、かつ資金調達先でもあつたところ、室野部長から右依頼のあつた昭和五二年当時はもとより、同社が本件和議申立をなした同五四年六月当時も、右各社との間に相当額の取引が継続していた(同(三)に認定)のであり、これに、被告三宅がその本人尋問において、室野部長の依頼を断つておれば別の資金調達先を探さねばならなかつたであろうが、そのために赤崎興業が倒産したりはしなかつたと思う旨供述していることを合わせ検討すると、右事情の存在も、同被告らの重過失の存否に影響を及ぼすものではないというべきである。

してみると、被告三宅には、本件融手取引を遂行するにあたり、取締役として重大な過失があつたものといわざるをえず、右取引が遂行された結果赤崎興業が倒産するに至つたことは前記2に判示したとおりであるから、被告三宅は、同社の倒産により原告が被つた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

4  そこで、更に進んで、被告正及び同寛三の責任(請求原因4(三))について検討する。

本件融手取引が行なわれてい当時、被告正が赤崎興業の代表取締役で、同寛三が同社の常務取締役であつたことは前記一のとおり当事者間に争いがなく、また、右当時、同被告らが取締役会にほとんど出席していなかつたことも当事者間に争いがない。さらに、〈証拠〉を総合すると、(1)赤崎興業は、被告正が、個人として行なつていた被服の製造販売業を株式会社の形態で行なうため設立したものであること、(2)同被告は、本件融手取引が遂行された当時は、いずれも自己の娘婿である被告三宅と三十志に同社の日常の業務の遂行を任せていたものの、取締役としての報酬は受領していたし、代表者として同社の債務につき個人保証をしたりもしていたもので、室野部長が失踪した日の翌日である昭和五四年六月六日から本件和議申立がなされた同月二七日までの間に同社において開催された取締役会にも出席して、同社の今後の運営について指揮命令を発したこと、(3)被告寛三は、被告正の実子であつて、昭和四九年ころ常務取締役に就任し、就任当初数回は取締役会にも出席していたものの、その後三十志との折り合いが悪くなつたことなどから取締役会にも出席しなくなり、取締役としての職務を全く行なわない状態が続いていたが、報酬は受領し続けていたこと、(4)同社の取締役会は月に一度の割合で定期的に開催されており、また、同社では、別途、従業員をも含めた販売会議もしばしば開催されていたこと、(5)右取締役会や販売会議では、当然のことながら、同社の資金繰りについても度々話合いが行なわれていたこと、(6)もつとも、被告三宅や三十志は、右取締役会や販売会議において本件融手取引を行なつていることを説明せず、そのため、石川達吉ら他の取締役も同取引の具体的実態は知らなかつたが、同社においては、昭和三〇年代当時から融通手形による資金調達が行なわれていたため、右他の取締役らは、被告三宅らが融通手形の交換による資金調達を行なつていたことは知つていたこと、の各事実が認められる(右認定を左右する証拠はない。)。

右各事実を総合すると、被告正及び同寛三は、被告らが主張するような名目的取締役ではなく、実質的な取締役であつて、通常の取締役に要求される監視行為を行なえば、その影響力は大きいものと認められるのに、何ら実質的な監視行為をなさず、その結果、本件融手取引を放置して赤崎興業を倒産に至らしめたものということができるから、自らもまた、少くとも重大な過失により任務を怠つたものといわざるをえない。

なお、被告らは、被告正や同寛三が遠隔地に常駐していたとか、同被告が同社の子会社の業務に専念していて赤崎興業の経営に関与する余裕がなかつたなどと主張するが、そもそも右のような事情は取締役の責任を検討するにあたり正当に考慮すべき事由には該当しないものというべきであるから、その存否は右判断に影響を与えるものではない。

してみると、被告正及び同寛三は、赤崎興業の倒産により原告が被つた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

三抗弁について〈省略〉

四以上の次第で、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中田耕三 裁判官松永眞明 裁判官始関正光)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例